蛍光灯のひかりが嫌い

日記、たまに紀行

グミの木のこと、あるいは島崎藤村の詩について

 

グミの木。

 

 

小学校の中庭に、それはまあ大きなグミの木があった。

時期になると、赤く熟した実でいっぱいになる。艶やかで触るとぷにぷにしてて、きっと魅惑的な味なんだろうなあってずっと思っていた。

 

どうしたってこの実をたべてみたかったのだけれど、先生に「毒だから絶対にたべちゃダメ!」と言われてたし、まだ死にたくもなかったのでたべなかった。生徒たちの間では密かに”毒の実”と呼ばれるようになっていた。

 

 

 

あれから年月が流れ、わたしも大人になり、好きな人と散歩をしていたときのこと。

ふと、道端に大きなグミの木を見つけた。木には艶やかな、あの毒の実がなっている。

 

あ、グミの実だ。

 

彼はグミの実を一つもぎ取り、なんと、パクッとたべたのだ。

たべた!!!毒の実を!この人たべた!!!

これはえらいことになったぞ、とあわあわしていたら、

 

「姫林檎の味がする‥こいつ、栄養価が高いんだよ」

 

と、一言。

頭に雷が落ちてきたかのようなとんでもない衝撃が走った。

 

調べたところ、グミの実に毒性は含まれておらず、問題なくたべることができるらしい。

また、彼が言っていた通り、食物繊維やビタミンなどかなり豊富な栄養素を含んでいるため、むしろ積極的に摂取したいものだったのである。

 

どこが毒なんだよ‥

幼き頃の好奇心をなんの根拠もなく奪った先生には、正直怒りの感情がふつふつと湧いてくるが、もう大人なので、うん、と感情を飲み込むことにする。

 

 

 

ところで、彼の放った「姫林檎の味」という言葉で、一つ思い出した詩がある。

 

島崎藤村の”初恋”という詩だ。

こんな詩である。

 

まだあげめし前髪まへがみ
林檎りんごのもとに見えしとき
前にさしたる花櫛はなぐし
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅うすくれなゐの秋の
人こひめしはじめなり

 

上記は第一連、二連部分。

はちゃめちゃに初々しい初恋の歌なことがバレてしまった・・

 

この詩は小学5年生のときに国語の授業で習った詩なのだけれど、当時わたしには好きな人がいて、その人が初恋の人だったために秒でこの詩の虜になってしまった。

宿題で、「好きな詩を暗記し、次の国語の授業で一人ずつ発表する」というものがあったのだが、お察しの通りわたしはこの詩を発表した。(痛い思い出)

結局、彼に気持ちを伝えることができぬまま卒業してしまうのだが‥この詩を、みんなの前で(もちろん彼もいる)発表した訳だし、実質公開告白したようなものだし(?)甘酸っぱい思い出として大事にしまっておこうと思う。

 

さて、

この詩は、四つの連からなっているのだけれど、第三連、四連部分が特にわたしの気に入っている。

せっかくなので紹介しちゃお。

 

 

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋のさかづき
君がなさけみしかな

林檎畑のの下に
おのづからなる細道ほそみち
が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

 

 

よし、解読してみよう。

 

まず、第三連の

”わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき”

という部分。

「少年は、目の前にいる彼女に対して息が詰まるほど気持ちが溢れてしまい、思わず息が漏れてしまった」

というシーンを描いている。しかも、その溜め息が彼女の髪の毛にかかってしまったというのだから、かなり近距離である事が分かる。

 

きゅん・・・

 

続いて、第四連部分。

訳すと、

「林檎の樹の下に、自然とできたこの道のことを、誰がこの道をつくったの?と、いたずらっぽく言う彼女がまた恋しい」

となる。

ふたりは、この林檎の樹の下で何度も何度も落ち合っていたということが分かる。

何度も通うにつれ自然とできたこの道のことを、少年に「どうしてかしら?」と、わざと聞くあたり、堪らん。

 

 

 

初めてこの詩を学んだとき、少女漫画よりもきゅんきゅんした。

りぼん、なかよし、ちゃお、では絶対得られないこの高揚感...

詩を解読していくことに、初めて面白さを抱いた瞬間であった。

 

 

 

 

もうすぐ、秋

またグミの木の季節がやってくる。

あの時は、彼に圧倒されてたべることができなかったけれど、今度こそたべてみせる。

 

グミの実がなったら、さりげなく彼をグミの木があるあの散歩道に誘い、まるで偶然グミの実を見つけたかのように装って一緒にたべたい。

この際、もう味はどうでもいい、グミの実をたべた!という事実が大事だから。

 

 

ああ、秋が待ち遠しいや。