蛍光灯のひかりが嫌い

日記、たまに紀行

実体のない日々のこと、あるいは死について

 

都会に1人で住んでいると、とてつもない孤独感に襲われるときがある。

こんなにも人がたくさんいるのに、この世界でたった一人ぼっちみたいな気分になる。

 

 

人の波にすぐ埋もれちゃうし。

ちゃんと自宅に戻れるか、いつも不安になる。

毎日、毎日、わたしはわたしを見失わないように生きるのに必死だ。

 

 

ふやけたように実体のないぼんやりとした日。

そんなとき、わたしはたびたび春の甘い風を思い出す。

 

春の甘い風。

うっとりするほど甘くて、やわらかくて、死にたくなる風。

 

死は、春の風のように甘く、わたしを誘惑してくる。

 

 

 

死について考えると、必ず寺山修司の『青少年のための自殺学入門』という本のことを思い出す。

この本では、自殺の動機の立て方、遺書の書き方、そして数々の劇場型自殺者のエピソードが綴られており、題名に”学”がついているせいで小難しそうに見えるけれど、実際はかなりユーモアに溢れた作品で、こんなに軽妙に自殺について綴った作品はないと思う。

 

著書に、「失恋で死ぬのも、貧困で死ぬのも、全部他殺である」というようなことが書いてあったけれど、それでは、わたしが死の誘惑にグラついてしまうのはなにが原因なのだろう?他殺ではないような気がする。

 

 

 

特に不幸な訳ではない。自分に不幸を与えてくる人とは関わらないように生きてきたし、今でもそうしてる。好きなことをして、好きなものに囲まれて、ただただ淡々と日々を繰り返しているだけなのに、どうしてこの世の全ての不幸を背負ったような顔をして生活しているのだろう。

 

この現象に、もしかしたら病名がつくのかな。わたしは病気なんだと認めてしまえば楽になるのかな。だけれど、今の自分の心の変化や気持ちの浮き沈みなどを、「病気だからしょうがないんだ」という風に片付けたくなくて、(ただ、認めたくないだけなのかもしれないが…)とにかくしっかりと自分の心と向き合いたいのだ。

この理不尽な世界を愛することよりも、自分のことを愛することの方がなによりも難しい。

 

 

 

 

今日、ブルーハーツの『夕暮れ』という曲を聴いた。

あんまりにもやさしくて、あたたかくて、愛に包まれた歌だったからポロポロと泣いてしまった。

 

甲本ヒロトは、この言語化できない気持ちや、行き場のない悲しみ、苦しみ、怒りをぜんぶ歌にしてくれる。

行方不明になった心を、ちゃんと自分の元に戻ってこれるように道順を教えてくれるみたいだ。

 

 

 

何もかも、不自由なく生活できるようプログラムされたこの世界で、生きている、というリアリティをつい見失いそうになるけれど、夕焼けよりも炎よりも赤い真っ赤な血が体中を流れているということ(甲本ヒロトの引用)、忘れないでいたい。